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45件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-11-11 第187回国会 衆議院 文部科学委員会内閣委員会連合審査会 第1号

また、担当大臣を、今までの過去を調べたんですが、専任の担当大臣というのは、東京オリンピックの場合は、オリンピック担当大臣川島正次郎国務大臣が行管担当大臣北海道開発庁長官等々で昭和三十七年に任命をされ、そしてその後、佐藤栄作科技庁長官北海道開発庁長官が兼務で任命をされ、そして、直前というかその年には河野一郎大臣、こういう形にはなっておりますけれども、今回は随分先駆けて、もし本法案成立任命をされるとすれば

近藤洋介

1986-11-13 第107回国会 参議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会 第4号

これに基づいて進められたんですが、現に鉄建公団発足七周年に当たる昭和四十六年の三月に、交通新聞紙上での座談会田中角榮首相が「今だから申し上げる」と言って、当時の池田勇人総理川島正次郎総裁あるいは佐藤榮作氏など政府・与党の首脳も、これは国鉄を分割するものだと言って反対いたしました。

市川正一

1981-01-29 第94回国会 衆議院 本会議 第4号

この間、先生は晩学も辞せず、明治大学に学ばれ、また、一地方政治家として、故川島正次郎先生にも私淑し、政治家としての素地を着々と築かれたのであります。  やがて、昭和二十一年、戦後初の第二十二回衆議院議員総選挙に、郷党の衆望を担い、埼玉県全県一区から立候補し、みごと最高点をもって初当選の栄を得られ、かねての国政参加の宿願を果たされたのであります。

高田富之

1978-05-25 第84回国会 参議院 内閣委員会 第13号

何としましても長い間のことでございますし、先ほど川島正次郎、中村寅太両氏の例をお挙げになりました。どちらも友人でございますが、これはどっちがどっちとも言えぬと思うんでございますけれども、後でいろんなことがいい意味で話題に出るのはいいが、後でまずいということで例に挙げられるようなことであってはいかぬと思います。

福永健司

1977-04-20 第80回国会 衆議院 農林水産委員会 第19号

○小川(国)委員 重光外務大臣以降、自民党外務大臣というのは大変な数に上っておりまして、高碕外相、石橋湛山岸信介石井光次郎藤山愛一郎小坂善太郎池田勇人川島正次郎これは代理ですね、大平正芳宮津壷三、椎名悦三郎佐藤榮作田中角榮、これは代理ですね。三木武夫田中伊三次、愛知揆一大平正芳宮澤喜一福田赳夫――福田総理もやっていますね。

小川国彦

1976-09-30 第78回国会 衆議院 予算委員会 第1号

特に、ここであなたに銘記していただきたいのは、ロッキードとグラマンの戦闘機購入の問題で、われわれの言ういわゆる黒い空中戦の第一回戦と称している問題がありましたときに、時の自民党総務会長河野一郎先生、時の幹事長川島正次郎先生が、昭和三十三年の九月二日、九月九日と二回にわたってちゃんと決算委員会のいわゆる証人喚問に応じて、そして宣誓をして証言をしておられるのであります。  

小林進

1974-05-23 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第33号

川島正次郎という人である。この先生在任時代に、私、質問したことがあるのです。いま特殊法人として国内にいろいろな機関がある。たとえば三公社のようなもの、あるいは公庫、公団というようなもの、そういうものに対して、あとから追っかけていろいろな特殊法人が出てきておる。また民法上の社団法人財団法人等が頭をもたげてきておる。

受田新吉

1973-06-27 第71回国会 衆議院 逓信委員会 第25号

川島正次郎は、遠山直接関係出来るも、元毎日出身なる故、真意伝え難し。但し工作は絶対必要、之は金で左右される人物。」こういうふうなことも書いてあるのです。故人に対して申しわけないのですが、こういうようにすべて当時の閣僚諸君幹部諸君のことについては書いてある。たとえば福田赳夫さんと宴会を開いておる。遠山景久は百万円出したけれども福田さんはこれを受けない、拒んだということもちゃんと書いてある。

土橋一吉

1973-02-12 第71回国会 衆議院 予算委員会 第11号

永田雅一氏がヤマト・コーポレーションの株取得者として出した名前には、このほかに河野洋平鈴木九平藤山勝彦萩原吉太郎平塚常次郎川島正次郎そして田中さんと永田さんという八人になっておりますが、これらの人はみな著名な人ですから、もしもインチキしたとするならば、これはすぐにばれる話です。また、ばれたら著名な人だけに、その被害は大きい話だといわなければなりません。

寺前巖

1971-01-25 第65回国会 衆議院 本会議 第3号

いまはなき川島正次郎先生は、機会を見て訪中し、先方の要人と大所高所から隔意ない意見の交換をすることを強く望んでおられたと聞いておりますが、佐藤総理の御所見を承りたいのであります。  最近、わが国の経済界の間でも、長期的な展望に立って中国大陸との経済交渉を活発化しようとする動きが強まっております。北京政府もまた、本年から新しい経済五カ年計画を遂行しようとしております。

鈴木善幸

1970-04-27 第63回国会 衆議院 運輸委員会 第21号

ところが、そのときに、当時の行政管理庁長官川島正次郎先生でございまして、条件がつきまして、人員は一切ふやしてはならないという条件のもとに、道路五カ年計画、当時一兆円と称しました。実質は九千億です。これをやるにあたって、設計並びに工事、大部分は民間に発注するということで、本来ならば二万五千人の人員を必要とするのを、一人もふやさずにこれをやって、今日まできておるのです。

根本龍太郎

1970-04-13 第63回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号

まず第一にお尋ねいたしますことは、北洋の安全操業についてでございますが、最近の新聞の報道によりますると、川島正次郎自民党総裁の訪ソあるいはノビコフソ連首相イシコフソ連漁業大臣等の来日を機会に、問題解決方向に向かって大きく動いておる模様が新聞に報道されておるわけでございます。

川村清一

1970-04-03 第63回国会 衆議院 建設委員会 第9号

ところで、当時の行政管理庁長官をしておりました川島正次郎先生から注文がつきまして、当時から行政機構の縮小、役人を減らせという、これは野党からの強い要請もございますし、内閣もその方針に従いまして、この道路特別会計を設けることによる人員はふやさないという条件で、これが閣議で了承を得たのでございます。

根本龍太郎

1967-03-31 第55回国会 参議院 予算委員会 第4号

この三悪追放推進協会発起人代表菅原通済総理大臣佐藤榮作、それから東龍太郎荒垣秀雄石井光次郎川島正次郎、鈴木善幸——法務大臣田中伊三次さんもここに名前を連ねております−福田赳夫あるいは福永健司坊秀男水田三喜男山口喜久一郎、こういうふうにお歴々が全部名前を並べている。こういう菅原さんの三悪追放推進協会なるものは事実上自民党都知事候補の応援をやっておる。

瀬谷英行

1967-02-21 第55回国会 衆議院 懲罰委員会 第1号

火曜日)    午前十一時五十一分開議  出席委員    委員長 綱島 正興君    理事 前尾繁三郎君       大竹 太郎君    加藤 六月君       徳安 實藏君    中川 一郎君       福家 俊一君    堀川 恭平君       山村新治郎君    山崎 始男君       竹入 義勝君     ――――――――――――― 二月二十一日  委員萬田尚登君、賀屋興宣君、川島正次郎

会議録情報

1966-05-13 第51回国会 衆議院 内閣委員会 第35号

当時の川島正次郎長官のときは、ものすごい勢いで、そして熱心に、この七人委員会の結論については、相当各省抵抗があってもこれは実行に移していきたいという意向を持っておられたのだから、この考え方を引き継いでおられる福田長官であるから、私はこれを認められたということについては、非常に納得がいかないわけです。

田口誠治

1965-02-09 第48回国会 衆議院 予算委員会 第9号

云々、こうずっとありまして、「しかし、根本買収事件については、根本自身は、独断でやったと自白しているが、根本は長年川島正次郎議員の秘書を勤め、当時は川島国務相の秘書官をしており、その自供は疑わしく、この件について根本一人を厳罰に処するのはちゅうちょせざるを得ない。そこで、同人は執行猶予とした。」こういうことなんです。

高田富之